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トップ (メニュー)  >  中津祇園  >  中津祇園の歴史  >  中津祇園の歴史年表
中津祇園の歴史
西暦
元号
中津祇園の主な出来事
重要事項
852 仁寿2 豊前大守・藤原友長の祈願で闇無浜に住吉伊曾良宮が鎮座。
1334 建武1 豊日別宮が闇無浜へ遷宮。
1430 永享2 丸尾某の霊夢によって豊日別宮(闇無浜神社)および祭礼を再興し、下正路浦の漁民が祇園の御分霊を京都から改めて勧請する。
1516 永禄4 大友宗麟と大内義長の戦いにより、祇園社の社殿を焼失。このとき八王子神を紛失する。後に直江村鉾の州で見つかる。
黒田孝高
1587 天正15 闇無浜にて御神輿1殿だけのささやかな祭がしばらく続く。 九州征伐の軍目付の功により豊前6郡12万3千石を領し、黒田が中津に入る。
1588 天正16 刀狩り開始
黒田長政
1589 天正17
1590 天正18 文禄の役
1591 天正19
1592 文禄1
1593 文禄2
1594 文禄3
1595 文禄4
1596 慶長1 慶長の役
1597 慶長2
1598 慶長3
1599 慶長4
細川忠興
1600 慶長5 闇無浜の祇園社を再建する。 関ヶ原の戦い
関ヶ原の戦いの功により、細川忠興が豊前8郡豊後2郡39万9千石で中津城に入城。
1601 慶長6
1602 慶長7 忠興が小倉城に入城。小倉城本城、中津城支城となり、三男忠利に譲る。
細川忠利
1603 慶長8
細川忠興
1604 慶長9 忠興が家督を忠利に譲り、三斎と号して中津城に隠居。
1605 慶長10
1606 慶長11
1607 慶長12 中津城の第一期工事完成。
1608 慶長13
1609 慶長14
1610 慶長15
1611 慶長16
1612 慶長17
1613 慶長18
1614 慶長19
1615 元和1
1616 元和2
1617 元和3
1618 元和4
1619 元和5
1620 元和6
1621 元和7
1622 元和8
1623 元和9
1624 寛永1
1625 寛永2
1626 寛永3
1627 寛永4
1628 寛永5
1629 寛永6
1630 寛永7
1631 寛永8
小笠原長次
1632 寛永9 御神輿が3殿になる。 細川忠利が肥後54万石に移封。忠興は八代(隠居しているので支城)に移る。
小笠原長次が播州龍野6万石より中津8万石に封じられ入城。
1633 寛永10
1634 寛永11
1635 寛永12
1636 寛永13
1637 寛永14
1638 寛永15 島原の乱
1639 寛永16
1640 寛永17
1641 寛永18
1642 寛永19
1643 寛永20
1644 正保1
1645 正保2
1646 正保3
1647 正保4
1648 慶安1
1649 慶安2
1650 慶安3
1651 慶安4
1652 承応1
1653 承応2
1654 承応3
1655 明暦1
1656 明暦2
1657 明暦3
1658 万治1
1659 万治2
1660 万治3
1661 寛文1
1662 寛文2
1663 寛文3
1664 寛文4
1665 寛文5
小笠原長勝
1666 寛文6
1667 寛文7
1668 寛文8
1669 寛文9
1670 寛文10
1671 寛文11
1672 寛文12
1673 延宝1 これまでのささやかな祭礼から一転し、祇園祭が本格的な祭礼として始まる。角木次官からは獅子、下正路次官からは御幣を立てた船、豊後町からは御幣を立てた大八車が出る。
1674 延宝2 御神輿や作り物の山車が出るようになる。
1675 延宝3
1676 延宝4
1677 延宝5
1678 延宝6 中津藩が藩札を発行する。
1679 延宝7
1680 延宝8 藩から資金が出され惣町(下八町)の各町とも寄進せよとの令が出るが、桜町と豊後町の2町のみが藤棚の山車(傘鉾)を出す。このころが下正路舟車の始まりか。
1681 天和1
1682 天和2
小笠原長胤
1683 天和3 豊後町の発意により長胤が京都から美麗な祇園車を取り寄せ、豊後町に与える(祇園車の始まり)。下正路には御座舟「天鳥丸」を与える。
1684 貞享1 このころより長胤の乱行が始まる。
1685 貞享2
1686 貞享3
1687 貞享4
1688 元禄1
1689 元禄2
1690 元禄3
1691 元禄4
1692 元禄5
1693 元禄6 荒瀬井堰が完成。
長胤の乱行がいよいよ激しくなる。
1694 元禄7
1695 元禄8
1696 元禄9
1697 元禄10
小笠原長円
1698 元禄11 長胤の乱行のため領地没収される。
長胤の弟・長円を下毛宇佐2郡4万石を封じ、中津城に居城とさせる。
1699 元禄12
1700 元禄13
1701 元禄14 祇園芝居が龍王宮にて始まる。役者は池永組と北原組が一年交代で務める。
※このとき、踊り車はまだ存在しない。
1702 元禄15 各町とも傘鉾を寄進すべしとの厳令が出され、傘鉾が8基出る。 赤穂浪士討入
1703 元禄16 桜町が初めて山車(祇園車)を出す。
角木町が子供を山伏に仕立てて六人峯入りと名付け、御神幸の先頭に立たせる。
1704 宝永1
1705 宝永2
1706 宝永3 塩町・姫路町・堀川町が初めて山車(祇園車)を出す。
1707 宝永4 船町・米町が初めて山車(祇園車)を出す。
1708 宝永5
1709 宝永6
1710 宝永7
1711 正徳1
1712 正徳2 上六町組も山車を出すように申し渡され、なんとか二台の山車(祇園車)を出す。山車(祇園車)の城内引き入れが始まり、椎木門から西御門までを走らせる。城を出た後は、中ノ町(殿町)を通り、新博多町〜米町筋を御神幸。
小笠原長邑
1713 正徳3 この年は京町〜姫路町筋を御神幸。
1714 正徳4 この年は古魚町〜船町筋を御神幸。
1715 正徳5 藩主不在のため、山車(祇園車)の城内・町内の引き入れが禁止される。
1716 享保1 藩主小笠原長?が6歳で死亡し、世継ぎがなかったので、幕府に領地を没収される。
徳川吉宗が享保の改革を始める。
奥平昌成
1717 享保2 小笠原時代と同様に祇園祭を盛大に行うように命ぜられ、城中へ山車を引き入れる。豊後町・桜町・塩町・姫路町・堀川町から山車(祇園車)が出る。そのうち、桜町・塩町・堀川町は作り物の山車で、姫路町は踊り車。また、船町(大福帖)・米町(笠さぎ)・新博多町(飾り山)・古魚町(三笠山)・京町(歌かるた)・諸町(たち花)・古博多町(生木月)・新魚町(大笠)からは鉾が出る。角木町は「山伏峯入」を奉納する。
祇園車取扱いに関する御触れが出される。
丹後宮津9万石より奥平昌成が中津10万石へ封じられる。
1718 享保3 上六町を大火が襲い、上六町組の祇園車が一台焼失する。
姫路町が小唄踊り「神おろし」を演じ、武家屋敷御座敷の前での踊りが始まる。
隣保班制度が始まる。
1719 享保4 上六町組は祇園車を一台しか出せず。
祇園祭の御触れに取締りに関する条項が追加される。
踊り子の衣装に絹が許される。
桜町住人が祇園期間中に遊女らしきものを囲み、追放。
堀川町大工・九兵衛の手により、下正路舟車に修理が施される。
1720 享保5 作り物の山車は上六町組のみで、下八町は舟車・御神殿車・踊り車。
車踊りの芸題を届け出させる。
中津城下で大火があり、234軒を類焼する。
1721 享保6 中津藩の領内人口98624人。
1722 享保7 中津藩凶作
1723 享保8 角木町が御神輿「三番様」を寄進する。
1724 享保9 祇園祭の開催が7月に延期される。
城中で藩主が踊りをご覧になり、八幡義氏宮にて踊り子や子供らに昼食を下さる。以降、昼食は八幡義氏宮で取ることとなる。
1725 享保10 火の番の制度が始まり、武士の祇園・芝居の見物を禁止する。
北門にて、藩主が角木町山伏の子供らに昼食を下さる。
1726 享保11
1727 享保12
1728 享保13
1729 享保14
1730 享保15 下正路の御舟歌が始まる。
1731 享保16
1732 享保17 飢饉にもかかわらず祇園祭を開催するが、祇園車は出せず。
祇園祭の資金を調達するために、富くじを許可する。
中津藩凶作、虫害による稲の被害が75514石。
1733 享保18
1734 享保19 中津城下で大火があり、158軒を類焼。
1735 享保20
1736 元文1
1737 元文2
1738 元文3
1739 元文4
1740 元文5 豊日別宮(闇無浜神社)社殿が修復される。
1741 寛保1
1742 寛保2
1743 寛保3 中殿村・島田村の百姓が困窮のあまり逃亡。
1744 延享1 九兵衛の息子・惣助の手により、下正路舟車に修理が施される。 宇佐宮への奉幣使が復活する。
1745 延享2
1746 延享3
奥平昌敦
1747 延享4
1748 寛延1
1749 寛延2
1750 寛延3 青の洞門が完成。
1751 宝暦1
1752 宝暦2 運上役所銀札所を開設。
1753 宝暦3 上六町組が作り物の代わりに北原人形芝居をしたいと申し出る。
諸町えびす宮にて池永芝居が催される。
中津城下で大火があり、281軒を類焼する。
1754 宝暦4 祇園芝居場にて、古魚町住人と豊後町住人が喧嘩。
1755 宝暦5 北原の山口屋一右衛門が人形浄瑠璃を披露。
祇園芝居場にて、角木町住人が雑言。藩庁より押込め。
1756 宝暦6
1757 宝暦7
奥平昌鹿
1758 宝暦8 藩主昌敦が死亡し、祇園祭の開催が12月4日、5日に延期される。
塩町・姫路町・堀川町・桜町・古魚町の住人たちが不良役者の真似をして、藩庁より取締。
1759 宝暦9
1760 宝暦10 龍王浜に御神輿蔵を普請する。
豊後町から弁天様を龍王に祀る。
1761 宝暦11
1762 宝暦12 このころすでに、上六町組の祇園車は2台とも踊り車となる。大江八幡の初卯神事が再興され、京町が祇園囃子を寄進する。(上祇園の始まり)
1763 宝暦13 中津大火
1764 明和1 京町と諸町が大江八幡の初卯神事での囃子の寄進を申し出るが、お許しが出ず。 自性寺の池大雅筆障壁書画が完成。
1765 明和2 猛暑のため豊後町影向楽の舞子が歩けず、角木町山伏の次に神幸したいと豊後町が申し出る。 中津藩、大洪水のため大凶作。
1766 明和3 御神輿担ぎは角木町と決まる。
倹約令が出される中、豊後町楽車の稚児だけに、絹ものの衣装が許される。
1767 明和4 「引掛」に関する御触れが出される。
1768 明和5 1御座敷1踊りの御触れが出る。
御旅所が新築される。
大江八幡の神幸について、3箇所の踊り場所が許される(このころから、大江八幡の神幸にも祇園車が寄進される)。
1769 明和6
1770 明和7
1771 明和8 六所宮を大江八幡に合祀し、諸町と新魚町も大江八幡の氏子となる。
豊後町組頭4名が祇園切り銭の割合届を出さず、藩庁からお叱り。
1772 安永1 船町車付が自由勝手に振る舞い、藩庁からお叱り。
1773 安永2 大雨のため踊りの奉納ができず、「いったん踊りを中止した場合は、以後の踊り箇所でも踊らないように」という御触れが出される。
下正路が舟車の修理を行う。
1774 安永3 船町の踊り子が腹痛を起こして踊れず、船町踊り車は1箇所も踊らず龍王に引き付ける。 杉田玄白、前野良沢らが「解体新書」を刊行する。
1775 安永4
1776 安永5 角木町住人が御神輿担ぎに出ず、藩庁からお叱り。
1777 安永6 大江八幡の神幸のときに下八町の踊り子を行列に参加させることを条件に、上八町が祇園社の修繕に協力する。
大江八幡の神幸について、蛎瀬・中殿・島田では踊らないようにとの仰せが出る。
1778 安永7
1779 安永8
奥平昌男
1780 安永9
1781 天明1
1782 天明2 御神輿「二番様」に修理が施される。
1783 天明3 米町の初代の祇園車が完成する。
堀川町住人が御条目に対してわがまま申し口論。青竹戸締。
天明の大飢饉
1784 天明4 角木町住人が酒に酔って上六町の車を壊し、藩庁からお叱り。 中津藩大飢饉
1785 天明5 後の昌男公奥方・八千姫様(4歳)も踊りをご覧になり、角木町山伏の子供や囃子方の子供ら132人にお赤飯を下さる。八千姫様を驚かせないようにするため、御座敷での御囃子の演奏を禁ずる御触れが出される。
祇園祭の取締りに関する詳細な御触れが出される。
中津藩大飢饉
奥平昌高
1786 天明6 藩主と八千姫様が北門・木村權衛門様の出座敷にて踊りをご覧になる。 中津藩大飢饉
1787 天明7 北門出座敷での踊りが二度手間になることから、船場町上の辻・奥平十左衛門様の出座敷にて、藩主と八千姫が踊りをご覧になる。
龍王浜に常夜燈が初めて建つ。
中津藩大飢饉
松平定信が寛政の改革を始める。
1788 天明8 豊後町が幽女神楽を始める。
闇無浜神社の石灯篭が倒れ、怪我人が出る。
中津藩大飢饉
1789 寛政1
1790 寛政2 藩主が踊りをご覧になる場所が、城内に戻される。
住吉社の社殿が改修される。
大江八幡の神幸について、御旅所が蛎瀬の照雲寺から蛎瀬の勢溜に変更。
藩校進修館を開設。
1791 寛政3 中津藩大凶作
1792 寛政4 船町の豪商・井筒屋勘之助が祇園八坂社神殿を寄進する。
藩主の祖母が亡くなり、祇園祭が8月25日26日に延期。大雨の中での祇園祭。
豊漁を祈願して、新浦(現在の龍王町)の有志が住吉社の脇に蛭子様を祀る。
中津藩大凶作
1793 寛政5 新博多町下の辻にて、豊後町と角木町が争論。姫路町住人が怪我を負う。
1794 寛政6 姫路町祇園車、子供に怪我を負わせた責任で藩庁から処罰。
祇園芝居勧進元と桜町取締が口論。
1795 寛政7 大新田竣工
凶作
1796 寛政8 水神祭りを盛大に開催せよとの仰せがあり、下八町から祇園車を出す。
上勢溜にお仮屋が寄進される。
1797 寛政9 倹約のお触れが出される。
1798 寛政10
1799 寛政11
1800 寛政12
1801 享和1 北原の三味線弾きと浄瑠璃太夫を上六町がボイコットする。
1802 享和2
1803 享和3 凶作
1804 文化1
1805 文化2 祇園車の焼失により中絶していた新魚町が、祇園車再興により参加するようになる。
1806 文化3 祇園歌舞伎芝居始まる。
角木町住人が御神輿を担がず、藩庁からお叱り。
1807 文化4
1808 文化5 大江八幡の神幸の車順ついて、新魚町が申し出をする。この結果、一番は新魚町、二番・三番は人形車の新博多町、古博多町が隔年入れ替わり、四番・五番・六番は踊り車が順次繰り下がりとなる。
1809 文化6
1810 文化7 藩主昌高が「中津辞書」(蘭語訳撰)第一篇を編纂。
1811 文化8
1812 文化9 中津和傘の生産開始。
1813 文化10 御神輿3殿に修理が施される。
大江八幡の神幸での御旅所および車置き場が、蛎瀬の照雲寺裏手の塩浜に移る。
中津城下で大火があり、160軒を類焼した。
1814 文化11 火の番隊長が船町祇園車の幕を破り、暴れる。
1815 文化12 大江八幡の神幸の車順が改められる。先頭から新博多町・古博多町(隔年、前後入替)、新魚町、(以下は年々繰上げ)京町・諸町・古魚町。
1816 文化13 凶作により、祇園車を出すことを禁ずるお触れが出される。 中津藩大凶作、干ばつによる稲の被害が79700俵。
1817 文化14
1818 文政1 豊後町御神殿車が一番橋の欄干を壊す。
1819 文政2 桜町祇園車、口論から幕を打ち破られる。
1820 文政3 龍王新開(47町歩)竣工
1821 文政4
1822 文政5 「中津辞書」出版
1823 文政6
1824 文政7
奥平昌暢
1825 文政8 堀川町が奥平昌高公より祇園車を頂く。
1826 文政9 この年の芝居場所は下勢溜。
1827 文政10 姫路町が踊りを奉納中、豊後町がその近くを通り御囃子を強く打ったため、姫路町の踊りに支障が出る。 中津城下で大火があり、174軒を類焼。
1828 文政11 中津藩凶作
1829 文政12 倹約のお触れ中ながら、祇園祭開催を仰せ付ける。
踊り車に町家の子供を推奨する。
町奉行の車踊り下見のとき、豊後町が囃子を鳴らし姫路町の踊りの妨げをする。
昌暢公の奥方・長の局様が中津に御着きになるのを待ち、朝車が遅れる。その後、上覧する。
祇園車上覧の際、塩町住人が二の丸座敷にて扇を使用し、藩庁よりお叱り。
角木新田竣工
1830 天保1 藩主が人形を好まないことから、上六町組(この年は新博多町組が当番)が大江八幡の神幸に使用している踊り車を出す。
上六町組当番が遅刻して朝車が遅れ、御上覧に差し支えが出る。
姫路町上の辻において火の番が乱暴し、米町祇園車の幕や提灯が引き破られ、引き手が殴られる。
1831 天保2 堀川町と角木町の知らぬうちに、御旅所を下勢溜から上勢溜へ変更して欲しいとの願が下八町から出され、認められる。
例年高潮が発生するため、大江八幡の神幸の御旅所を照雲寺に戻す。
古魚町が人形車にかわり、大江八幡の神幸の車順が新博多町、古博多町の後になる。
新博多町、祇園車大破につき、北原人形芝居を上演する。
1832 天保3 下正路在住の船問屋播磨屋代吉と紙屋仁左エ門が、下正路に祇園車を寄進する。
豊後町楽車が大手門の中で車を組立てている最中に下正路舟車が押しかけ、大手門をくぐる際に豊後町の引き手が車の間に挟まれ、喧嘩になる。
奥平昌猷
1833 天保4 祇園祭切り銭に不正が発覚、米町住人が藩庁から押込め。
古魚町が再び踊り車となる。
大江八幡の神幸の御旅所が上勢溜に変更される。
天保の大飢饉
1834 天保5 御姫様が人形浄瑠璃を好まないことから、新博多町・古博多町ともに踊り車となる。
引き出の夕刻、龍王に向う豊後町楽車と、同じく龍王に向う上六町組踊車が船場町上の辻にてかち合い、先に辻に綱が入っていた上六町組踊車を豊後町と桜町の住人が押し戻し、喧嘩になる。
大江八幡の神幸の御旅所が下勢溜に変更される。
福沢諭吉が大阪中津藩の蔵屋敷で生まれる。
1835 天保6 水野忠邦が天保の改革を始める。
1836 天保7 中津藩大凶作
1837 天保8 飢饉にもかかわらず、祇園車を出すように仰せ付ける。
上覧の際、祇園車は大手門から入り大手門から引き返す。
大塩平八郎の乱
1838 天保9 下正路舟車が一番橋の欄干を倒す。 中松新開竣工
1839 天保10 堀川町祇園車が足軽目付に怪我を負わせる。
1840 天保11
1841 天保12 新博多町中の辻にて、塩町祇園車が先方の姫路町の茶櫃車に衝突し、これを見た姫路町の引き手たちが塩町の茶櫃車を打ち壊す。
奥平昌服
1842 天保13
1843 天保14
1844 弘化1 祇園車の幕に絹ものを使用することが禁止される。
1845 弘化2 江戸城が焼け落ちた影響で、祇園祭の開催が9月4日・5日に延期される。
豊後町楽車が松下蔵内の娘をひき殺す。
1846 弘化3 船町祇園車が桜町住人に怪我を負わせる。
豊後町楽車の稚児が大夏目様のお屋敷にて「そそう」をする。
1847 弘化4 祇園祭開催の3日前に徳川尾張大納言が亡くなり、御囃子なしで祇園車が御神幸する。
1848 嘉永1
1849 嘉永2 町内の事情により、この年の祇園祭り姫路町は参加せず。
1850 嘉永3 上六町組の切り銭に不正があるとの噂が立ち、組頭をはじめ、45名が取り調べを受ける。
1851 嘉永4
1852 嘉永5 御座敷1箇所につき1踊りにもかかわらず、殿町大夏目家の御座敷にて、豊後町が楽を何度も所望され、応じる。
1853 嘉永6 ペリー来航
1854 安政1 日米和親条約を結ぶ。
1855 安政2 不景気のため、踊りから飾り人形にしたいとの申し出が各町から出るが、藩は従来通りの実施を指示する。
ほうき星騒動が起きる。
1856 安政3 三百間浜先に砲台を築く。
1857 安政4 渡辺重石丸が桜町に「道生館」塾を開く。
自性寺に本堂造営。
1858 安政5
1859 安政6 コレラ大流行のため祇園祭りが中止となる。
城中おかこい畑の外に芝居場所が設けられる。
一月に五回も新魚町で出火し、狐の付け火の噂が立つ。
安政の大獄
1860 万延1 桜町から人形芝居の願が出され、認められる。
姫路町から今年は車踊りを人形にするための仕度の年にしたいとの願が出され、認められる。
茶弁当が認められる。
諸町より願が出され北原人形芝居が復興する。
大江神社の神幸においても茶弁当が許される。
桜田門外の変
1861 万延 2 
文久1
上勢溜に「医学館」が開設される。
1862 文久2 米・油などの物価が高く、祇園祭典費の節減令が出る。
1863 文久3 堀川町祇園車の台輪で石を運び、三百間鼻に「大砲御台場」を築く。
祇園囃子で町方が賑わう。
1864 元治1 中津藩兵二千余名が小倉黒原まで出兵。
長州征伐
1865 元治2 
慶応1
再び長州征伐の令
1866 慶応2 福沢諭吉の「西洋事情」初編が刊行される。
1867 慶応3 小祝と高浜(小倉領)が中津領となる。
大政奉還
奥平昌邁
1868 慶応4 
明治1
堀川町が奥平昌邁公から二代目の祇園車を頂く。 福沢の英学塾を「慶応義塾」と名付ける。
五箇条の御誓文
明治
1869 明治2 奥平昌邁が中津「藩知事」を命ぜられる。
1870 明治3 龍王浜に料亭4軒が許可され、「銀杏町」を作る。
1871 明治4 中津城の廃城を新政府に届け出す。
「小倉県」誕生。中津と下毛・宇佐の二郡(豊前)は小倉県に属し、豊後一円は「大分県」となる。
1872 明治5 神社制度の変革にあたり、豊日別国魂宮の社称を廃し、闇無浜神社と改称する。 戸籍調査
学生頒布
徴兵令
1873 明治6 地租改正
1874 明治7 佐賀の乱(江藤新平)
1875 明治8 小幡英之助が歯科医開業免許第一号を受ける。
1876 明治9 豊前の二郡と中津が「大分県」に編入する。
県下最初の本格的な週間新聞として「田舎新聞」が創刊される。編集長は増田宋太郎、社屋は京町。
1877 明治10 中津警察署が発足する。
増田宋太郎ら60余名が「中津隊」を挙兵。
西南戦争
1878 明治11 下毛郡(中津他97ヶ村)の人口は63472名、戸数は13147戸。
1879 明治12
1880 明治13 大江八幡宮の御分霊や六所宮などを合祀し、中津神社が中津公園地に鎮座する。
1881 明治14 船場町が初めて祇園車を出す。
闇無浜神社の神殿が新築される。
中津公園地に神宮教豊前教会所を置く(のち21年4月に中津大神宮となる)。
1882 明治15 公園地に「蓬莱観」劇場が完成する。
1883 明治16 中津神社の鎮座祭が行われる。このとき上六町の祇園車も寄進され、祇園車の巡幸を中津神社の夏季大祭として実施するようになる。
闇無浜神社の摂社八坂社の祇園祭を下祇園、中津神社夏季大祭を上祇園と称するようになる。
初代の片端町祇園車が一階車として完成する。
1884 明治17 姫路町の新しい祇園車が完成する。
1885 明治18
1886 明治19 米町の二代目の祇園車が完成する。 殿町に新しい下毛郡役所が建てられる。
1887 明治20 下祇園と上祇園の合併合同大祭が開催される。
1888 明治21
1889 明治22 町会議員の初選挙。旧士族側から12名、商人側から12名の計24名が当選。初町会は寺町の浄安寺で開かれる。
山国川の洪水。本流(北門)が土砂に埋まり、支流(広津)が本流となる。
1890 明治23 コレラが大流行。患者は131名。
1891 明治24 二代目の京町の祇園車が完成する。初代の祇園車は大分県玖珠町の森祇園に売却する。
三代目の諸町の祇園車が完成する。
大風雨の中での祇園祭り。
上宮永地区の大火(180戸)
1892 明治25
1893 明治26 大干ばつ。山国川蕨尾井堰の水けんか。
1894 明治27 中津中学校が設置される。
日清戦争
1895 明治28 古博多町の新しい祇園車が完成する。それまでの祇園車は長洲に売却する。
片端町の二代目の祇園車が完成する。
1896 明治29 船町の新しい祇園車が完成する。 小祝を中津町に合併する。
1897 明治30 豊州鉄道(行橋―宇佐)が開通し、中津駅が創業。
1898 明治31 中津紡績株式会社が操業を開始する(36年に鐘紡に合併)。
1899 明治32
1900 明治33 新浦(龍王町)が下正路から独立する。
1901 明治34 上祇園神社予算、133円93銭8厘。 北九州に八幡製鉄所ができる。
1902 明治35
1903 明治36 姫路町、新しい祇園車を発起。このあと日露戦争のため中断する。 中津に電灯がつく。
小祝浦のフク漁船が大嵐で遭難し、22名が死亡。
1904 明治37 県教育委員会により、中津公園地に「独立自尊」の碑が建つ。筆者は日下部鳴鶴。
山国橋が完成する。
日露戦争
1905 明治38
1906 明治39
1907 明治40 現在の堀川町祇園車が日露戦争の勝利を記念して造られる。2代目の祇園車は33円で福岡県田川地方に売却される。 不況で各地銀行が支払いを停止する。
1908 明治41 新浦(龍王町)が福岡県豊前市宇島から新しく祇園車を購入し、大改修をする。 三口大井手井堰の大修理に着工。
1909 明治42 新浦(龍王町)が初めて祇園車を出し、この年は下祇園10台・上祇園8台の参加。
1910 明治43 米町が祇園車の大改装を行う。
1911 明治44 下毛郡立高等女学校が開校(大正2年に三ノ丁に移転)。
豊後町で大火事。
日豊線が前面開通する。
大正
1912 大正1
1913 大正2 船町が祇園車の修理をする。
姫路町が祇園車の再建を開始する。
1914 大正3 現在の姫路町祇園車が一階車として完成する。 耶馬溪鉄道の樋田―柿坂間が開通。
第一次世界大戦
1915 大正4
1916 大正5 中津商業学校が開校する。
1917 大正6
1918 大正7 最初の百貨店として、中津の「兵庫屋」が小倉に進出する。3階建の洋館。
米騒動が起こる。
1919 大正8 このころ、下祇園の御旅所が下勢溜から境内西の濱に変更される。
1920 大正9
1921 大正10 現在の古魚町祇園車が完成する。初代の祇園車は、福岡県豊前市魚町(宇島祇園)に売却される。 富士紡中津工場が発足する。
1922 大正11 上祇園の踊り箇所、朝車30箇所・戻車21箇所。
1923 大正12 関東大震災
1924 大正13 耶馬溪鉄道の中津―守実間が全通する。
1925 大正14 新浦の町名を龍王町に改名する。 中津公園地に「西南役中津隊之碑」が建つ。
中津町と豊田村・大江村の両村が合併する。
普通選挙法が成立する。
昭和
1926 昭和1 現在の殿町の祇園車が完成する。初代の祇園車は、福岡県豊前市前川町(八屋祇園)に売却される。 中津上水道の竣工式が行われる。
1927 昭和2 このころ、船場町が祇園車を福岡県田川市伊田風治八幡宮所属番田町に売却する。 中津市公会堂が落成する。
全国金融恐慌
1928 昭和3 片端町が一階車を二階車に改造する。 中津市上水道が完成する。
1929 昭和4 小楠村が合併し「中津市」が誕生する(人口35000、県下三番目の市)。
1930 昭和5 このころ、新魚町が祇園車を四日市に売却する。
1931 昭和6 姫路町が一階車を二階車に改造する。
現在の新博多町祇園車が白木にて完成する。
この年の下祇園の御旅所は北部小学校。
大貞競馬が下毛畜産組合の主催で開催される。
満州事変
1932 昭和7 新博多町の祇園車に塗りが施される。二代目の祇園車は、大分県玖珠郡森町(塚脇祇園)に売却される。
中津大火(中津商業高校近辺約250戸被災)発生、下祇園の開催を中止。上祇園は7月17日のみ開催。
5・15事件
1933 昭和8 三の丁の辻にて、諸町の祇園車警護係が京町の祇園車警護係と大乱闘。怪我人3人。
1934 昭和9 皇太子殿下の初のお節句を祝して、注文により、船町塗師・中島謙吾、姫路町大工・小倉乙次郎、殿町彫刻師・三宅秀峰の3氏が祇園車の模型を謹製し、献上する。
1935 昭和10
1936 昭和11 住吉社と祇園八坂社神殿を闇無浜神社神殿の両脇に移転する。
桜町が一階車を二階車に改造する。
扇城高等女学校が中殿町に新築移転する。
「中津傘工業組合」が結成される。年産15万本。
2・26事件
1937 昭和12 上祇園開催の翌日が防空演習のため、戻車の時間を繰り上げる。 大貞競馬が県畜産連合の直営となる。
国内歯科医開業第一号の小幡英之助の胸像が建つ。
1938 昭和13 戦争激化のため、下祇園は祇園車を出さず御神輿と傘鉾のみの御神幸。御旅所は公園地。
1939 昭和14
1940 昭和15 下祇園の開催日を旧暦の6月15日、16日から新暦の7月15日、16日に変更する。
1941 昭和16 暴風雨のため北門橋と小祝橋が流される。
1942 昭和17 関門トンネルが開通する。
1943 昭和18 龍王町祇園車、舟車としては最後の参加。 鶴居・大幡・如水の3村が中津市に合併する。
1944 昭和19 上祇園は戦争激化のため祇園車を出さず、中津神社で戦勝と武運長久を氏子が祈願。大祭次第に「警戒警報中といえども、執行する」の記述。 山国川の大洪水
1945 昭和20 中津市内の700余戸の家屋を引き倒し、強制疎開。
終戦
1946 昭和21 龍王町が舟車を踊り車に改装する。 日本国憲法公布
1947 昭和22 中津大貞競馬を再建する。
1948 昭和23
1949 昭和24 天皇陛下が中津市を巡幸される。
1950 昭和25 朝鮮戦争
1951 昭和26 三保村が中津市に合併する。
サンフランシスコ対日平和条約
1952 昭和27 この年の参加を最後に、塩町が祇園車を福岡県田川郡川崎町に売却する。 中津大貞競馬が市営競馬になる。
1953 昭和28
1954 昭和29 和田村が中津市に合併する。
1955 昭和30 今津町が中津市に合併する。
1956 昭和31 国際連合に加入する。
1957 昭和32 姫路町が祇園車の全面塗り替えを行い、台輪や芯棒を新調する。
1958 昭和33 豊後町祇園車、最後の参加か。 山国町が誕生する。
国道10号線が開通する。
1959 昭和34 本耶馬溪町が誕生する。
1960 昭和35
1961 昭和36 龍王町が台輪と輪を新調する。 中津南高校で火事が発生する。
1962 昭和37
1963 昭和38
1964 昭和39 中津城天守閣の復元竣工式が行われる。
オリンピック東京大会が開催される。
1965 昭和40
1966 昭和41 NHK「ふるさとのうた・まつり」に中津が取り上げられ、姫路町祇園車が全国に紹介される。
1967 昭和42
1968 昭和43 東陶陶器中津工場が開業する。
1969 昭和44
1970 昭和45 豊後町祇園車が破棄され、一部分は中津歴史民俗資料館に保存される。
上下合わせて、祇園車を出したのは新博多町のみの寂しい祇園祭。
大分交通耶馬溪線の洞門―守実間が廃止される。
1971 昭和46 商工会議所が発起人となり、「中津祇園保存振興会」が発足する。上下とも祭礼日を新暦七月二十三日から二十五日とする。 福沢旧居が国指定史跡となる。
1972 昭和47 公園地にて殿町祇園車が死亡事故を起こす。
1973 昭和48
1974 昭和49
1975 昭和50 大分交耶馬溪線の中津―野路間が廃止される。
1976 昭和51 ロッキード事件
1977 昭和52 上下合わせて13台の祇園車が参加。 中津駅の高架事業が完成する。
1978 昭和53 日中友好条約を結ぶ。
新東京国際空港が開港。
1979 昭和54 闇無浜神社にて米町祇園車が人身事故を起こす。
1980 昭和55
1981 昭和56
1982 昭和57 新市庁舎が完成する。
1983 昭和58 龍王町が祇園車の全面塗り替えの大改装を行う。
米町祇園車、最後の参加か。
1984 昭和59 福沢諭吉が新一万円札に登場する。
1985 昭和60 祇園祭の開催日が7月20日過ぎの金土日に変更される。
1986 昭和61 豊の国・テクノピア博覧祭が開催される。
1987 昭和62 祇園囃子競演会が上下別々に始まる。
1988 昭和63 片端町が祇園車の全面塗り替え・修理を行う。
平成
1989 平成1 堀川町が祇園車上部を塗り替え、折屋根を新調する。 消費税実施
1990 平成2
1991 平成3 京町が祇園車上部を新築する。
「九州地区民俗芸能大会」が沖縄県那覇市で開催され、大分県代表として龍王町が松前音頭を披露する。
ダイハツの中津進出が決定する。
1992 平成4 京町が祇園車の全面塗り替えを行う。 PKO協力法成立
1993 平成5
1994 平成6 村山富一内閣成立
1995 平成7 祇園囃子競演会が初めて上下合同で開催される。
堀川町が輪を新調する。
姫路町が水引幕を新調する。
中津祇園保存振興会が解散する。
阪神・淡路大震災
地下鉄サリン事件
1996 平成8 堀川町が見送幕を新調する。
1997 平成9 上下の年番(新博多町、桜町)が発起人となり、「中津祇園協議会」が発足する。
「走り抜け」、「集団祇園車見せ」が始まる。
台風が九州を直撃し、朝車の御神幸を早めに切り上げ、予定されていた行事が翌日に延期される。
下祇園の御礼踊りが年番のみの奉納となる。
香港が中国に返還される。
1998 平成10 下正路町が鉦を新調し、祇園車上部の塗り替えを行う。
姫路町が鉦を新調する。
大分市で国民文化祭が開催され、そのオープニングパレードに下正路町舟車と新博多町踊り車が参加する。
1999 平成11 下祇園で「お汐井とり」の神事が復活する。
下祇園が花火大会終了後の「御宮入り」を始める。
姫路町が総漆で祇園車上部を塗り替える。
殿町が総漆で全面塗り替えを行う。
米町と船町の祇園車が破棄される。
2000 平成12 上下全ての祇園車が、中津駅南口へ祇園車見せを行う。
堀川町が法被を新調し、祇園車の屋根の化粧直しをする。
2001 平成13 下正路町が尺鉦を新調する。
米同時多発テロ
2002 平成14

桜町が祇園車の全面的な塗り替えを行う。
新魚町御輿に修理が施される。
中津祇園囃子CD「中津祇園の響き」発行。
歴史本「中津祇園」発行。

2003 平成15 「中津祇園保存協議会」へ改称する。
豊後町御神殿車が43年ぶりに組み立てられ、展示される。
中津駅南口への巡行が中止となる。
2004 平成16

中津祇園が大分県指定無形民俗文化財の指定を受ける。
経済産業省より「電源地域産業育成支援事業」の事業指定を受ける。(平成18年まで)
事故が多発したことを受け、協議会が安全対策委員会を設置。御巡幸における安全ガイドラインを策定する。
大分ビッグアイでの大分トリニータ対柏レイソル戦の応援として、下八町青年会が祇園囃子を披露する。
協議会内に地域再生プロジェクトチームを結成、「祇園通り」と「中津川河川敷公園」の提案を大分県および国土交通省に対して行う。

2005 平成17

TOSテレビ大分「ハロー大分」にて下祇園のやりどりが県下に生中継される。
宇島祇園「天祥丸」が走り抜けに特別参加。中津神社と闇無浜神社で宇島の御舟歌を奉納する。
第16回豊の国ねんりんピック開会式(大分市)にて下祇園連合チームで祇園囃子を披露する。
第18回八面山高原フェアにて諸町鉦打連中が祇園囃子を披露する。

下毛町村と合併し新中津市が発足。
2006 平成18

中津市合併1周年記念事業「ふるさとまつり自慢」が開催される。
大分県下最大級の「中津祇園大花火大会」が行われる。
中津青年会議所の主催で「出張!なんでも鑑定団 in 中津」の収録が行われる。
龍王町が祇園車の全面改装を行う。
中津市山国町藤野木の「やすらぎの郷やまくに」にて開催された「温泉まつり」のオープニングで、龍王町が祇園囃子が披露する。
中津市耶馬溪町の檜原山正平寺にて開催された「檜原まつ」で、諸町が祇園囃子を披露する。
宇島祇園の鉦打競演会に「NPO法人中津地方文化研究所」がゲスト出演し、中津祇園の囃子と松前音頭を披露する。
中津祇園の鉦打共演会に宇島祇園の「三連太鼓」がゲスト出演する。

2007 平成19 NPO法人中津地方文化研究所の主催で「とよの国 鉦のお囃子の祭典」が中津文化会館で開催され、6地域の祭典のお囃子が共演する。
(財)地域創造の助成を受け、中津市教育委員会が中津祇園を「中津市地域伝統芸能映像記録」としてDVD化。
日田祇園囃子保存会の発起で、「大分県祇園囃子フェスティバル」が日田市で開催される。
 
2008 平成20 平成19年度中津市成人式にて、龍王町が祇園囃子と松前音頭を披露する。
町内回り当日の早朝、KBC「アサデス」にて中津祇園のPRを行う。
おおいた国体の関連行事として、炬火パレードが朝車の夕方に福沢通りで開催され、下正路舟車、古博多町踊り車、両神社の神輿がパレードに参加する。
闇無浜神社の松に、桜町祇園車が衝突する。
「大分県祇園囃子競演会臼杵大会」が開催される。
世界的大不況
2009 平成21 祭典3日間は記録的な豪雨。上祇園は朝車の巡行を取りやめ、下祇園のみ御神幸、集団山車見せを行う。
中津・「豊の国 祇園囃子の祭典」が中津文化会館で開催され、10団体が参加する。
新型インフルエンザ流行
政権交代
2010 平成22 豊後町青年会が発足する。
桜町祇園車が闇無浜神社で観客と接触。
 
2011 平成23 「集団山車見せ」の実施方法が変更され、櫓前で各町が踊りを奉納する形となる。
豊後町御神殿奉斎車が豊後町に展示され、祭典当日は福沢通り歩行者天国の会場まで引き出される。
南九州間税会連合会第38回通常総会中津大会懇親会にて、上祇園下祇園の選抜メンバーで、中津祇園の囃子を披露する
東日本大震災
2012 平成24  花火大会が開催されず。
福沢通りでのイベント運営を委託方式に変更。
 九州北部豪雨
2013 平成25 豊後町御神殿奉斎車(楽車)が復興し、53年ぶりに御神幸する。「影向楽」も70年ぶりに奉納される。
姫路町が台輪を新調する。
新博多町踊車にて、40年ぶりに北原人形芝居が奉納される。
諸町が大幕と御簾を新調する。
全国高校総合体育大会に合わせ、皇太子殿下が中津市を行啓され、中津祇園保存協議会は朝車御神幸・御巡行日程を調整し、警備の協力を行う。(大分県警より感謝状が授与される)
引き出しの夜に「中津市民花火大会」が開催される。
「大分市誕生100年山車フェスティバル」において、中津祇園の囃子、御船歌、影向楽、松前音頭が披露される。
2020オリンピックに東京が決定
富士山が世界遺産に決定 

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