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ようごうがく

影向楽



 かつて、祇園車の原型となった「豊後町御神殿奉斎車」の前では、「影向楽」が唄われ、優雅な稚児舞が舞われていました。
 しかし、戦後の時代の流れとともに、豊後町では影向楽が舞われることはなくなり、踊り車へと移り変わりました。 
 ここ数年前までは、歌詞と戦前の稚児の写真が数枚残る程度だったのですが、中津市三光の箭山神社で奉納されている「千歳楽」がこの「影向楽」に非常に似ていることがわかり、有志の手による調査が始められ、「影向楽」復興の取り組みが現在進んでいます。        


<影向楽>

1.開けし国は久方(ひさかた)の御世(みよ)
  天津(あまつ)神世(かみよ)のまつりごと
  宮居(みやきょ)涼しきくらなしの浜  
  出船入船あれをみよ  
  須磨(すま)の浦(うらわ)の荒木(若木)のさくら
  散らで残るは磯馴れ松(そなれまつ)

2.千早(ちはや)振る(ぶる)、千早振る
  神と君との道すぐに
  打(うち)治まれる御代なれや
  民も豊か澄む水の
  流れの末の末までも
  歌い戯れ千代に八千代に

(現代訳)
1.天と地ができて始まった時は、はるか遠い神様の時代 
  天の神様をおまつりして神々が国土を創造し、治めた時代
  神様のお住まいになる宮は、邪念のない清らかなくらなしの浜
  出港する船、入港する船をごらんなさい
  須磨の浦の若い桜の木は、 
  花を散らしてしまっても(ここ、くらなしの浜)に残るのは、 
  磯で自生し風景に馴れ親しんだ松の木

2.激しく、荒々しい神様と主君がいっしょに世を過ごしています
  神の時代(神様といっしょの時代)は、めでたく平穏な時代です
  人々も豊かに暮し、清らかな水の流れのように子々孫々の時代までも 
  歌い楽しくいついつまでも(永遠に)つづきますように

※須磨の浦とは、摂津の国と播磨の国とが境を接するあたりの海岸地帯。
 現在の兵庫県神戸市須磨区一帯にあたります。
 月の名所で海岸は白砂青松の景勝地でした。

※影向(ようごう)とは、神仏が一時姿をあらわすことを意味します。
 ちなみに「影向の松」とは、神が松をよりしろとして現れた神木のことで、
 能舞台の背景の松は影向の松を表したものだそうです。 
                            (訳・注釈:近砂敦氏)


なお、祇園関係者の有志により、かつて「影向楽」を実際に舞っていた方々に聞き取り調査が行われました。
これまでに判明したことを箇条書きで紹介します。

平成15年1月19日(日)14:00〜古博多町のHさん宅にて
○豊後町「影向楽」について
 ・三光の「千歳楽」とは節回しが違う?
 ・子供が多かったため、稚児はくじにて選抜されていた
 ・対象は小学校1〜2年生、約10名を選抜していた
 ・子供の本心としては、暑さのため、あまり当選したくない
 ・男の稚児もいた・稚児でない子供でも、綱を引っ張る子供は多かった
 ・夜は小若の提灯を持って走った
 ・稚児として参加した家には、親戚一同がご祝儀の黄色の幟を贈り、軒先に立てた
 ・稚児は豊後町の祇園車に乗って、移動していた
 ・花傘などの飾りは、踊りを踊るときだけ装着し、移動時は親が持って回った
 ・稚児の背中に竹の筒を立て、それに花傘を挿していた?
 ・稚児の鼓だけでなく、大きい太鼓も囃子に交わっていた?
 ・太鼓などのお囃子組は、朝車の午前四時、御神移しに間に合うように豊後町を出発していた
 ・祇園祭り後、衣装(毎年作りかえるような小物のみ)はくじに出され、当たれば縁起物とされていた

○古博多町の白黒集合写真について
 ・撮影場所は中津神社境内
 ・撮影時期は昭和15〜16年ごろか?(昭和18年に戦死した「兄さん」が写っている)
 ・衣装は浴衣に手甲脚半で、みんな揃っている
 ・浴衣には「古」の文字が描かれていた
 ・当時、古博多町にはお金があったので、衣装が揃っていたのでは?

○「ぶんごや」のおっさんについて
 ・大の祇園好き
 ・「ぶんごや」は薬局で、現在の豊後町郵便局の隣りに店があった
 ・本「中津祇園」に掲載の昭和24年豊後町集合写真に写っている(左端の紋付を着ている人)
 ・本「中津祇園」カラーグラビアページの昭和30年代角木町の写真の中で、太鼓を打っている
 ・豊後町「影向楽」の太鼓と角木の太鼓は似ているのか?

○昔の祇園の様子
 ・豊後町の四つ角や長野タンス店の角は、人がいっぱいで、アイスクリーム屋などが来ていた
 ・北部小の近くには、「あまぎや」とって子供に踊りを教える「塾」があった
 ・祇園の踊り子になる子供は、夏になると眉毛をそり落としていた


平成15年1月26日(日)11:00〜諸田のOさん宅にて
○豊後町「影向楽」の衣装について
 ・花の色はピンク・金と銀の短冊がぶらさがっていた
 ・竹には銀紙を巻いていた・ハチマキの色はブルー
 ・手甲の色もブルー・袖口の色は赤
 ・着物の色は白
 ・足袋の色は白・幌(?)に赤の布がかかっていた
 ・穴の開いた木枠を背中に背負い、その穴に竹を挿していた
 ・鼓には紐がついていて、腰で留めていた
 ・背中に背負う飾りはとても子供にはとても重かった

○「影向楽」の出番について
 ・稚児は豊後町の人に限る
 ・金持ちの子は出ない(?)
 ・女の子の出番は10時ごろから夕方まで
 ・男の子(小学校3年〜4年)は、朝車の朝や、夜に出ていた
 ・移動のとき、男の子は祇園車に乗って移動していたが、女の子は歩いて後を付いてきていた
 ・私は5歳、6歳のときに出た(女の子は出てもせいぜい2年間らしい?)
 ・昭和初期のとき、すでに影向楽に出る子供は少なかった

○その他
 ・楽を唄っていたのはおじさんたち(「ぶんごや」のおっさん?)
 ・豊後町集合写真の場所は、現在の豊国畜産からやや東に進んだところ


平成15年3月11日(火)中津市三光の田口公民館に「千歳楽」の練習を見学
○練習の様子をご覧になった、諸田のOさんからの感想
 ・稚児の動き方が「影向楽」と同じ部分がある
 ・特に2番の中盤で稚児が一列に並ぶところは同じ
 ・人数、お囃子の楽器構成もほぼ「影向楽」と同じ
 ・「千歳楽」では、踊りが始まる前に口上(祝詞?)を述べるが、「影向楽」にはなかった
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